
逆境にどう対処するかが、地位を決めることになる。ボーン・サグスン・ハーモニーは師匠イージー・Eの死、以前の所属レーベル、ルースレスとの争い、さらに、才能はあるが、気まぐれなメンバー、ビジー・ボーンの脱退に耐えなければならなかった。幸い同時期に、レイジー・ボーンとクレイジー・ボーン、ウィッシュ・ボーンは1000万枚以上のアルバムを売り上げ、グラミー賞2部門を含む多数の賞を受賞。そして、ヒップホップ専門のメディアだけでなく、主要メディアからこのジャンルを代表するラップの先駆者たちと同様の評価を受けることとなった。
ボーン・サグスン・ハーモニーは最も重要で有力なアルバムととらえられるであろう、『ストレングス・アンド・ロイヤルティ~強さと忠誠と。』をリリース。スウィズ・ビーツのレーベル、フル・サーフェスとインタースコープに落ち着くまでトラブル続きだったが、ボーンは集中力を取り戻し、このニューアルバムのためにアーティストとしての根幹まで切り詰めている。
「俺たちボーン・サグスン・ハーモニーが一緒にいた20数年の思いをこのタイトルに込めた」レイジー・ボーンは説明する。「互いに忠実であること、そこに強さがある。俺たちのルーツは一緒にいることにあるからだ。俺たち3人の絆は、小学6年生、中学1年生の頃からあった絆と変わってない。ウィッシュは俺のいとこで、クレイジー・ボーンは中学の頃からの親友だ。もともとの本質に戻れたような感じがする」
ボーンは、ノリノリの曲、"9ミリ""フロウモーション""バンプ・イン・ザ・トランク"で、彼らが開拓した早口のスタイルに戻っている。これらの曲では、悪意のある、にぎやかなビートに乗せて、ボーンの昔ながらの、舌のもつれるような早口を披露。これは1994年のスマッシュ・ヒット、"サギッシュ・ラギッシュ・ボーン"などで確立されたサウンドだ。
ボーンがメジャーになる前、同じマシンガン・ラッパー、トゥイスタと、確執があったとも言われている。成長と和解への意思を示すため、ボーンは、このプラチナ・アーティストを"C-タウン"でフィーチャー。この曲はボーンの故郷クリーブランドとトゥイスタの故郷シカゴへ寄せる抒情詩だ。「トゥイスタとの仕事は意味のあることだった。俺たちは中西部に輝きをもたらしたかったんだ」レイジーは言う。「俺たちは今こそ、ヒップホップにも協調が在り得ることを人々に示すべき時だと思った。俺たちはもう大人だし、人々により良い生き方を示している」
実際、ボーンは一貫して、自分の音楽で様々な問題を分析し、曲を通すという普遍的なやり方で提示してきた。例えば、マルチ・プラチナ・シンガー/プロデューサーのエイコンと組んだファースト・シングル"アイ・トライド"は、内省的な魂の探求を扱った、パワフルであると同時に意味深い曲だ。「俺たちの間に共感が生まれていた」クレイジー・ボーンが明かす。「今、売れているのは全てクラブ的なものだ。その中に俺たちが入っていくために、俺たちは俺たちが経験したことや学んだことをみんなに伝えてるんだ」
ボーンは、精神が高揚するスピリチュアルな音楽も作っている。その中で彼らは神との関係、対話について議論している。感情が詰まった"オーダー・マイ・ステップス"には、ゴスペルのスーパースター、ヨランダ・アダムスが参加。「俺たちは何かゴスペル的なことがしたかった」レイジー・ボーンは説明する。「本当に神聖な人に曲に参加してもらえたことは、神の恵みに他ならない。ボーン・サグスン・ハーモニーについては色々なことが言われていて、周囲はヨランダ・アダムスが俺たちと1曲やることに反対していた。でも彼女は曲を聴いた後、神様に突き動かされ、俺たちとやるように決心したんだと思う。この曲は俺たちにとって単なるゴスペル以上のものだ。神が口を開いて、ボーンのために何かやると言っているんだ」
ボーンの『ストレングス・アンド・ロイヤルティ~強さと忠誠と。』には運命の巡り合わせもある。"ストリーツ"は、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムがプロデュース、そしてザ・ゲームがフィーチャーされている。ボーンはルースレス・レコードのメイン・アーティストだったが、同じ頃にはブラック・アイド・ピーズも同レーベルと契約していた。ピーズはルースレスからアルバムをリリースしていないが、縁があるようだ。もう一つ、興味深いのは、ザ・ゲームがコンプトンから出てきた最新のスーパースター・ラッパーであることだ。この街を全米で有名にしたのはイージー・Eであり、ザ・ゲームも彼のことを、最も影響を受けたアーティストの1人だと語っている。
ボーンのレパートリーの新たな面を見せたのは、マライア・キャリーとバウ・ワウが参加した恋愛ソング"リル・ラヴ"だ。「俺たちはPR戦術のためにラップしているわけじゃないから、とても気分がいい。ラップは心から生まれるものだ。俺たちは現実に起きていることについてラップするし、それについて発信する。俺たちの曲のほとんどはそうやって思いつくんだ」ウィッシュ・ボーンは言う。
確かに、ボーン・サグスン・ハーモニーは、ウィッシュと従兄弟のレイジーが中学時代にレイジーの親友クレイジーと組んで以来、すばらしい音楽を生み続けてきた。彼ら3人は、独自の曲とラップのブレンドが次なるブームとなることを確信していたが、90年代初期のクリーブランドでは、音楽業界との接点がなかった。そこで彼らは金をかき集めて、ロサンゼルスへのバスの片道切符を買い、ギャングスタ・ラップの先駆者、イージー・Eに会いに行く。
ロサンゼルスでの面会は実現しなかったが、彼らは、そのコンプトン・ラッパーがクリーブランドへコンサートに来た際に会うことができた。イージー・Eは彼らの革新的なスタイルに心底驚き、彼のルースレス・レコードと契約させた。そして1994年の"サギッシュ・ラギッシュ・ボーン"の爆発的なヒットで、ボーンはスーパースターの座に躍り出た。その後のシングル"ザ・クロスロード"ではグラミー賞を獲得。1997年のダブル・アルバム「ジ・アート・オヴ・ウォー」はクアドループル・プラチナディスクに認定された。
レーベルによる制限がなくなったボーンは"アイ・トライド"という短編映画を撮り、ボーン・ウォッチという自分たちの商品ラインナップを発表。また、ファット・ファームで特別仕様のスニーカーをデザインし、一連のボーン・ビザ・カードを作り、『ストレングス・アンド・ロイヤルティ~強さと忠誠と。』という会心作をリリースした。
ほとんどのグループが失速していく時期に、ボーン・サグスン・ハーモニーは、自分たちが今もラップ界の最重要グループであることを示した。「俺たちは3人とも2段階ぐらいレベルアップしなきゃならなかった」クレイジー・ボーンは語る。「俺たちはみんなの言っていたことから、苦しい戦いになるだろうと分かっていた。でも、そのことが俺たちを燃えさせ、スタジオへ入って一生懸命やろうと思わせたんだ。俺は、アイスキューブが脱退して、もう終わりだと言われていた頃のN.W.Aと自分を重ね合わせた。その後、彼らはアルバム「Efil4zaggin」をリリースして、世界中を驚かせた」
『ストレングス・アンド・ロイヤルティ~強さと忠誠と。』で彼らも同じことを達成するはずだ。



